メディア担当の方
ただし、そのころのバナナは、今のものとはずいぶん違っていて、人差し指大と小さいうえに、種がぎっしり。
ところがある日、突然変異か偶然か、種のないバナナが出現し、それを人間が栽培化したことによって、現在のようなバナナが出現することになるのです。
現在、私たちが食べているバナナは、主にマレー半島原産の[ムサ・アクミナータMusa acuminata]と、フィリピン原産の[ムサ・バルビシアーナMusa balbisiana]という品種との交雑種です。
こうして、さらに新たな品種群が形成されていくことになります。バナナ栽培に関する文献が登場するのは、紀元前600〜500年のインド。さらに、紀元前350年ごろの書物には交雑種についての記述がみられるようになりました。
やがて、4〜5世紀にはマダガスカル島、さらに東アフリカにも伝わり、異なる気候や環境で栽培されることで新たに分化していきます。そして、15世紀初頭にはアフリカからカナリア諸島へ。その後、中央アメリカや南アメリカへと伝播。こうして、世界中の熱帯・亜熱帯地域にバナナの栽培は広がっていったのです。
創世記の、それは誰もが知るエデンの園の住人アダムとイブ。一般的には “禁断の果実”はリンゴと伝わっていますが、実はバナナだったのではないかという説があるのです。
唱えたなかには、現代分類学の父と呼ばれ、バナナの学名「Musa spp.」の属名部分「ムサMusa」の名付け親でもあるスウェーデンの博物学者カール・フォン・リンネも名を連ねています。
エデンの園に限らず、実はバナナにまつわる伝説や逸話は世界中に存在します。それだけ人々に身近な存在として、愛されてきたのでしょう。
こちらは実在の人物でマケドニアの英雄、アレキサンダー大王。弱冠20歳で王位を継承した彼は、大軍を率いて東方に遠征し、中央アジア、インドへと達しました。その時にインダス川上流でバナナに出合い、船でエジプトに持ち帰ったそうです。
また、アリストテレスの愛弟子であり、哲学者で博物学者、植物学者でもあるテオプラストスの『植物誌』にもバナナが登場。そのおいしさへの驚きに言及しています。
さらに数世紀後のローマ時代。「賢者だけがそれを夕食に食べる」と書き記したのは、博物学者で政治家、軍人でもある大プリニウス。インドでの位置づけとしてバナナが選ばれた果物であることを書き残しています。そんな名だたる英雄、賢人たちを唸らせてきた果物であるバナナが、現代では私たちの日常の食卓に当たり前のように並びます。たっぷり食べて、「賢者の果実」の恩恵にあやかりたいものです。
<参考>
バナナ大学
バナナの世界史(太田出版)
バナナの歴史(原書房)
果実の事典(朝倉書房)
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