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アメリカへは、1492年のコロンブスの新大陸発見後、スペイン人によって西アフリカのスペイン領カナリア諸島を経由してカリブ海に浮かぶサントドミンゴ島(現在のヒスパニオラ島)に持ち込まれました。この島の気候風土は、一年を通して高温多湿。まさにバナナの生育にぴったりです。ここから、さらにメキシコ、ブラジルなど中南米、南米の亜熱帯地域へと伝播していったのです。
恰好の環境を得てバナナはすくすくと育ったものの、当初、これらの地では、今のように良質な食料として愛されていたわけではありません。そのころの中南米、南米では、カカオやコーヒー、ペパーミントなどが貴重な販売用作物として生産されていました。直射日光を嫌うこれらの作物の日よけとして、バナナの広く生い茂る大きな葉が重宝されて植えられたのです。
バナナの本当の素晴らしさ、おいしさに人々が気づくのはもっと後のこと。果実は副産物として、奴隷のための食料として利用されただけでした。
1873年にフランスの作家ジュール・ヴェルヌが冒険小説の最高傑作『八十日間世界一周』を発表。主人公がインドのアラハバード山中を象に乗って突き進み、ガンジス川の流域に達してしばし休息をとるシーンで、「一行はバナナの林で休息したが、旅行者が『クリームのようにうまい』というその実は、パンと同じく栄養があり、大いに賞賛されていた」と描かれたことから、当時の人々の関心を集めるようになりました。
そして、1876年のアメリカ合衆国独立100周年を記念して催された「フィラデルフィア万国博覧会」。グレアム・ベル(Alexander Graham Bell)の電話やトマトケチャップ、シャープペンシルといった発明品が世界で初めて紹介され、また日本の有田焼が注目を集め金牌賞を獲得したこの万博に、バナナが展示されたのです。
それまでもバナナは知られてはいたものの、南の国の貴重品でなかなか手に入れることのできない果物でした。しかし、革新的な輸送技術の進歩でアメリカのどこでも手に入るようになり、特定階層のための贅沢な食べ物から庶民の食べ物へと変遷していきました。その転機となったのが、このフィラディフィア万博。これを機に、バナナ1本がわずか10セントで庶民の食卓に並ぶようになったのです。
第一次大戦ごろまで、世界で最も食べられていたのは[グロス・ミッチェル]という品種でした。「クリーミーで香りが強い」「皮が厚いので運搬中に傷みにくい」という特徴をもった優れものだったのですが、パナマ病というカビの一種による病気の蔓延によって壊滅的な打撃を受けてしまったのです。
それに代わって救世主のごとく現れたのが、現在世界中で一番食べられている品種[キャベンディッシュ]です。品質の優れたこの品種に転換を進めたことで、バナナが世界中から消えてしまうという悲劇を逃れることができたのです。
<参考>
バナナ大学果実の事典(朝倉書店)
バナナの歴史(原書房)
八十日間世界一周 ジューヌ・ベルヌ著/田辺貞之助訳(創元SF文庫)
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