メディア担当の方
この記事では、コロンブスが発見したパイナップルが、どのようにヨーロッパで流行したかの歴史をお伝えします。
1000年以上前と言われるほど古くからブラジル南部、アルゼンチン北部、パラグアイにまたがる地域で栽培されていましたが、コロンブスが1493年の2回目の航海時に西インド諸島のグアドループ島で発見。さっそくカトリック両王フェルディナント王とイザベラ女王への贈り物として、金塊や珍しい南国の樹木、動物とともに献上します。
その味を王は賞賛。独特の甘酸っぱさは他になく、驚きや喜びもありましたが、遥か遠い地の果実を口にするということには、王にとって別の意味もありました。つまり、その地を我が領土としたことも同じ。この時パイナップルは、「王の果実」として国王の富と権力の象徴となったのです。
その後、スペインから、イギリス、オランダ、のちにフランスへと、大変な労力と莫大な費用をかけて温室栽培が広がります。とはいえ、王侯貴族ら限られた階層の人々のもの。希少価値も手伝い、ますます憧れ募る果実となったパイナップルは、様々な逸話を生むことになります。
貴重な砂糖とフルーツを使った菓子は特別で、中でもパイナップルは最も稀少で費用のかさむ富や権力の象徴として、デザートコースに組み込まれていました。カットしてあしらったり、パイナップルアイスクリームまでも。国王にふさわしい完璧なデザートとして作り上げられたのです。
また、1745年に催されたドフィーネの結婚式での仮装舞踏会。そこに参加したルイ15世は、とある女性に近づきます。それが、後のポンパドール夫人。その時の仮装が、なんとパイナップルの形に整えられたイチイの木だったという説があります。
想像するととんでもありませんが、パイナップルが結んだ縁が、その後、大きな歴史の転換を呼んだかもしれないと思うと興味深いですね。
栽培方法の議論も白熱化しました。また、味わいだけでなく、南国情緒=豊かさを示すモチーフとして、パイナップル型トピアリーから家具の装飾、食器、布地、レース編みのモチーフとして登場。さらには、ヘアスタイルにまでアレンジされたそうです。
そして、パイナップルが王室の贅沢の頂点に輝いたのはジョージ4世時代。英国史上最も豪華だった1821年の戴冠式の晩餐には、その卓上に供されていました。また、王の別荘ブライトン・パヴィリオンもパイナップルをイメージして内装。ヨーロッパにあって、パイナップルは王の果実として地位を確立したのです。
現代でもその片鱗が見られるのが、ウィンブルドン選手権のトロフィー。トップにパイナップルがちょこんと乗っています。
<参考>
パイナップルの歴史(原書房)
果実の事典(朝倉書店)
世界史を変えた50の植物(原書房)
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