メディア担当の方
コロンブスによって、カリブ海のグアドループ島で“発見”され、金塊や7羽のオウムなどとともに、珍しい品、貴重な品々の一つとして本国に持ち帰り、カトリック両王フェルディナント王とイザベラ女王に捧げられたパイナップル。それは国王の賞賛するところとなり、容易に手に入れることのできない「王の果物」として垂涎の的となっていきます。
そして、大規模なプランテーションも現代のような輸送技術もない時代に、ヨーロッパの王侯貴族が望んだのは、自分の庭園でこの類い稀なる果物を育てることでした。しかし、緯度の高いヨーロッパの気候は、気温が低く、晴れることも少ない、パイナップル栽培の理想的環境とは程遠いものでした。
そんな悪条件を克服する技術が進化したのは、17世紀も終わりごろのこと。チューリップ・バブルで知られるオランダ人園芸家たちの持つ高い技術力が道を切り開いたのです。
その後、栽培競争はイギリス、フランスにも広がり、白熱化します。王侯貴族のおかかえ庭園師たちによって、植生や繁殖法が調査・分析され、湯水のごとく費用をかけて研究されたのです。
内部をレンガで囲った小屋の中で馬糞による発酵を利用して温度と湿度を上げるもの。そこで栽培に取り組むことで、まさに“温室育ち”のパイナップルを作り上げたのです。
18世紀後半になると、そのようにして培った技術文化が花開きます。ジョージ3世のウィンザー王室庭園にはパイナップル園「パイナリー」を始め、ブドウ園「ヴァイナリー」、オレンジ園「オランジェリー」などが建設され、そこでの収穫物が宮廷での饗宴に華を添えるようになります。
とはいえ、たった一つの果実を実らせるために莫大な費用と時間がかかるわけですから、パイナップルは庶民の生活とは程遠い、王侯貴族のものという権力の象徴でしかありませんでした。
貴族向けのガラスの宮殿やパインハウスが建設され、各国は競って冬でも南国の植物を楽しめる庭園を開発したのです。
その象徴ともいえるのが、1851年の世界初の万国博覧会であるロンドン大会の会場として登場したクリスタルパレス(水晶宮)でした。これをきっかけに一般市民の間にも温室づくりが普及していくのです。
現在、世界中で普通に利用されているビニールハウスや温室。その恩恵を受けて食卓にトマトやキュウリが並ぶのも、コロンブスが持ち帰ったパイナップルのおかげかもしれませんね。
<参考>
パイナップルの歴史(原書房) 図説世界史を変えた50の植物(原書房)
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